LINKED plus シアワセをつなぐ仕事
ステップアップのきっかけは、「自分の時間」を持てたこと。
救急看護認定看護師として病院に欠かせない存在に。
山本美紀
救命救急センター・救急看護認定看護師/
総合大雄会病院
救急看護認定看護師として、総合大雄会病院に勤める山本美紀看護師。
総勢68人の救命救急センターで主任として現場の第一線に立ち、
多くの患者やその家族と向き合いながら、後輩の育成にも目を向ける。
「救急看護は瞬時の判断力が勝負」と語る山本看護師。
緊張感とプレッシャーを〈やりがい〉に変え、日々、多くの患者やその家族と向き合う。
山本看護師は、幼い頃から下半身不随の祖母と同居していた。介護することは生活の一部で、進路を決めるとき、近くの病院で事務をしていた母親に「看護師さんはどう?」と言われ、自然と看護の道に入ったという。
看護学校を卒業後、1991年に地元・豊川の公立病院に就職。当初は毎日新しく覚えることばかり。「一日、はい、はいと首を振って、午後になると頭が痛いなと思ったことを覚えています」と笑う。就職した公立病院の勤務体制は日勤、夜勤、準夜勤の三交代制。4月に就職し、5月にはすぐ夜勤、準夜勤にも組み込まれ、経験の少ないなか、失敗を繰り返しながら仕事を覚えた。
「5年ほど勤めた頃、どうしても自分の時間がほしくなったんです」。三交代では仕事の疲れがなかなか取れず、せっかくの休日を自分の時間として有効に使うことが難しい。看護の仕事は好きだ。でも自分の時間がほしい...。
日々が過ぎるなか、山本看護師は、二交代制、夜勤専従という勤務体制がある総合大雄会病院を知る。公立病院から私立病院へ。「公務員なのになぜ辞めるの」と言う人もいたが、決断は早く、迷いもなかった。1996年、総合大雄会病院に入職。片道1時間半の通勤時間も、まったく苦にならなかったという。
総合大雄会病院の二交代制勤務体制には、夜勤専従、混合勤務、日勤のみの3種類がある。山本看護師の希望した夜勤専従は、週2回32時間の勤務。集中して仕事をし、昼の時間を有効に使える。
山本看護師は、内分泌内科と形成外科の混合病棟で2年間、夜勤専従として勤務した。「夜勤専従の間、しっかりと自分の時間を持つことができました」。その時間で、癌や化学療法といった看護の研修や勉強会に参加したり、家族や友人との旅行を実現したという。
プライベートが充実すると、仕事に対する集中力も上がった。夜勤専従は昼間の患者を看ることがないため、夕方出勤してから患者が眠るまでの短時間に、一人ひとりの病態を深く把握することが重要となる。看護に対するプレッシャーは決して小さくはない。だが、「夜、眠るときにいた看護師が、朝起きたときにもいることは、とてもいいことだと思います。その分、私たちが頑張ればいい」。ここで培った注意力と観察力、そして患者の生命を守らなければならないという使命感が、看護師としての彼女を、大きく成長させた。
そして1998年に救急外来へ異動。看護師になって初めての救急だったが、「私には水が合っていました」とにっこり。以来約15年、昨年からは救命救急センターにおいて、彼女は欠かせない存在になっている。
山本看護師は言う。「救急看護で重要なのは、病状に見合った処置を一瞬で判断すること。呼吸、循環、意識等、基本的な体のサインを見極める時間は、患者さまの名前を呼んで近づく時間も含め、約20秒です。重症と判断した患者さまはすぐに処置室へ、待てるようなら、その後の2分程でフィジカルアセスメントを行います」。その2分で重症な人を見分けることは、2~3年でできるようになると言う。難しいのは、少し経つと悪くなる可能性がある患者を見分けることだ。
例えば心筋梗塞でも、軽ければ患者は歩いて救命救急センターに来る。だが、そのときは大丈夫でも時間が経てば心臓は弱り、突然悪くなることがある。「悪くなる可能性のある患者さまをきちんと見分け、優先的に診察、処置していけるようサポートするのが、私たち看護師の役割です」。そのためには、さまざまな病態、症状などを常に学び、知識を持っていることが必要だ。「救急看護は、何年働いても、初めての病態に遭遇します。勉強しなければならないことは、次から次へと出てきます」。そう語りながらも、彼女の表情はとても明るい。スペシャリストにとって、常に新鮮な刺激を受け、自己成長へと繋がる環境がいかに大切かを物語っている。
そして昨年、山本看護師は救急看護認定看護師の資格を取得した。取得するにあたっては、「教育課程の1年間、学費、宿泊費、交通費など、病院から大きな援助をいただきとてもうれしく思いました。同期である他病院の看護師30人とは、今でも集まり症例報告会をするんですよ。それがまた私には大きな刺激になります」と笑う。
今、山本看護師は、救命救急センターで自らの知識、技術の向上はもちろん、後輩たちの育成にも目を向ける。例えば、救命第一の現場では、対応や処置に追われ、ともすれば患者やその家族の心に寄り添うことを忘れがちだ。彼女自身、地域に密着した病院の救命救急センターとして、患者に『ありがとう』と言われる看護をめざしてきたが、今では、そうした患者の立場になることができる看護スタッフを、もっと増やしたいと考えている。
その一つとして、患者が亡くなったときの家族ケアの大切さを訴える。「センターに突然運ばれ、突然家族を亡くす悲しみ、その重みを理解し、そっとご家族に寄り添える、そんな看護師を育てたい」。
また、救命救急センターだけではなく、救急看護認定看護師としての知識を病棟看護師にも広く伝え、病棟における救命看護にも生かしていきたい。さらには、今後ドクターカーなどが導入されれば、「病院の外へ、積極的に出ていきたい」と、思いは尽きない。「うちの病院は、意欲があれば、いろいろなことに挑戦させてくれる病院です。私自身、救急でやりたいことは、まだまだ山ほどありますよ!」。
看護の道へ入って20年、山本看護師は今、志を持った一人の医療人として、しっかりとした歩みを進めている。
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