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地域の人々に寄り添う、地域と高度医療のハブ病院。
それが今の済衆館病院。
医療法人 済衆館 済衆館病院 / 理事長
今村康宏
ひたすら手術の技の修練を積み重ねていた若き外科医が、
歴史ある病院の経営者となった。
今村康宏、46歳。
社会が大きく変わる時代のなかで、新たな地域医療への挑戦を果たす。
平成28年3月から全病棟運用が開始された、済衆館病院・西館。1階にはリハビリテーションセンターを中心に、デイケア、訪問看護ステーション、在宅医療サポートセンターなど、在宅医療支援機能が揃えられている。2階は療養病棟(40床)であり、腎・透析センターを併設。3階は主に脳疾患患者が対象の回復期リハビリテーション病棟(50床)。そして4階は尾張中部地区初の緩和ケア病棟(20床)である。この西館の完成をもって、済衆館病院は、27の診療科を持ち、救急医療、急性期・回復期・慢性期・終末期、在宅医療まで、継続した医療を提供するフルケアミックス病院(360床)となった。
西館建設の指揮を執った今村康宏(医療法人済衆館理事長)が、済衆館病院とともに歩み出したのは、平成14年だ。いつかは自分が受け継ぐ病院、という覚悟で臨んだが、いざ来てみると、彼は大きな<危機感>にとらわれた。「院内の機能が未分化、未整理だったのです。患者さんは、重症も軽症も、入院初期も退院間際も、病棟の中に混ぜこぜ。もちろん事故はありませんでしたが、大学病院にいた私の目には、危なっかしくて仕方がなかった」。
その混ぜこぜには、理由がある。尾張中部は昔から小さな医療圏で、病院が少ない。そのため同院は歴史的に、地域の患者をとにかく受け入れ、少ない医師たちが奮闘し、いわば力技で対応せざるを得なかったのだ。また地域もそれを求めた。
だが、今村の信条は、医療安全。まず彼は、患者を重症度や病期により、環境を分けることに取り組んだ。そしてその次には、トリアージ(治療の選別)。専門的な見地から患者の状態を正しく評価し、自院で対応が難しい患者について、高機能病院へ確実に紹介する機能を強めたのだ。「その上で」と今村は言う。「病院の少ないこの地域に、どういう病院が必要なのかを考えたとき、すべての病期に対応する病床の網羅が肝要と思いました。つまり、病気が治る時間軸に沿って、急性期・回復期・慢性期・療養期まで、治療・療養できる環境を整えたのです。高機能病院への紹介患者さんも、そこでの治療が終われば、また当院で診させていただくという形です」。
そうしたステージや仕組みが回り始めた、平成18年、同院は移転。病期のすべての時間軸に沿って最適な環境を整え、専門性ある治療・ケアの提供をめざした。
新病院を得た今村は、医療の質を担保した強い病院づくりに注力する。方法論は三つ。治療や看護ケアの標準化、医療機能評価受審(第三者による病院評価)、BSC(業績評価システム)の導入だ。一つひとつを確実にクリアし、また継続させ院内改革のエンジンとした。
その過程で、今村は、<つっかけで駆け込んだ患者さんを、きちんと治して再び生活へと戻す>という、100年来の自院の根幹を考える。「それを変えることなく、次代にふさわしい病院を」。彼の結論は、<地域と高度医療のハブ病院>という言葉と概念である。すなわち、地域のすべての患者を受け入れ、適切な初期診療を行い、最適な医療に繋ぎ、再びまた受け入れる。そのため、急性期機能の強化をめざし、全診療科と専門医を拡充。併せて、全機能の高度化を督励した。
そして平成28年、西館を開設。西館の意味を今村はこう語る。「超高齢社会のハブ病院として、<生活>への視線を強めたのです。つまり、高齢の患者さんに、確実に生活へと戻っていただくために、回復期医療を強化。そこから、在宅での療養を支える、訪問・通所による支援体制へと繋いでいきます。また、在宅療養中の不測の事態には、本館の地域包括ケア病棟と合わせ、患者さんを迅速に受け入れ医療提供を図ります」。地域とより一体化するための西館である。
今村は言う。「理事長となり、より深く医療と地域を見つめると、<混ぜこぜ>は、当院の思想だと気づきました。私の戦略もそうです。大切なのは、根拠と手法。衆を済うという理念を貫きつつ、社会の動きと地域が必要とするものを見極め、地域にふさわしい病院を追求し続けます」。
「済衆館病院があって良かった」と、地域の方々に言ってもらえる病院をめざし、今村の意気はさらに高まる。
大正3年(1914年)創立以来、尾張中部医療圏で暮らす人々を、守り続けてきた、済衆館病院。今では救急医療から終末期まで、すべての病期を網羅し、さらに、在宅医療支援にも全力を注ぐ。いつのときも、どんなときも、地域とともに歩み続ける同院に、若きリーダーの才気が走る。
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